

紀土を語るとき、純米大吟醸や無量山のような上位酒に目が行きがちだが、この蔵の本当の実力は最も安い純米酒に出る、と私は思っている。四合瓶で千円ちょっと、麹米に山田錦五十、掛米に一般米六十という構成で、協会七号酵母を使った教科書通りの設計。それでいて雑味がほとんど出ていないのは、若手蔵元が普及価格帯に手を抜かない証拠だ。
香りは穏やかで、上位酒のようなメロン様の含み香はあえて抑え気味。グラスに鼻を寄せると、炊き立ての白米と、ほんのりした吟醸由来の甘い気配が立つ程度で、料理の前に出しゃばらない。これは設計思想として正しい。日常の食卓に置く酒は、香りで主張しすぎてはいけない。
口に含むと、日本酒度プラス3、酸度1.5の数値どおり、甘みと辛みのバランスがちょうど中庸からわずかに辛口へ振れる。米の旨みがふくらんだ直後に酸がすっと締め、後口に余韻を引きずらない。冷やでも常温でも崩れず、ぬる燗にすると旨みがもう一段ふくらむ。温度を選ばない懐の深さは、純米大吟醸にはない美点だ。
ペアリングは家庭料理の総菜全般。鶏の唐揚げ、肉じゃが、厚揚げの煮物といった、出汁と油のある惣菜にこの酸がよく効く。鯵のなめろうのような生臭みの出やすい肴も、辛口寄りのキレが受け止める。気取らない肴に合わせてこそ生きる酒だ。
四合瓶で千円台前半という価格は、紀土の品質基準を考えれば破格に近い。上位SKUの精緻さを期待すると物足りないかもしれないが、毎晩の晩酌に据える一本としてはむしろこちらを推したい。流通量も多く、特約店でなくとも出会いやすいのも日常使いには大きな利点だ。